解説 Introduction

吼える40度線

金が欲しけりゃ縄船に乗れ!
命が欲しけりゃ縄船に乗るな・・・

土佐の気候風土が育んだ命知らずの漁師たち。
海の至宝、ミナミマグロを追い、南氷洋の荒波に挑む。

この作品は、1980年から翌81年にかけて、南氷洋の荒波と闘いながら、ミナミマグロを追う、室戸第36合栄丸の1年8カ月におよぶ操業の記録である。

命知らずの荒操業は土佐漁師の伝統であるが、南緯40度線を超え、ミナミマグロの漁場を開拓した室戸漁協所属の遠洋マグロ船は、『土佐船』と呼ばれ、一目置かれる存在となった。
この漁場は、『吼える40度線』と、船乗りたちが恐れる暴風圏である。

撮影は、漁撈長の山田勝利(当時45歳)と司厨長の斎藤健次(当時32歳)。
いわば漁師自身が漁師の視点で、ありのままのマグロ漁の全貌を追いかけ続けた貴重な記録でもある。
現存するテープは80時間を超える。

みぞれ混じりの南極おろしが吹き荒れるシケの海で、命がけの操業が深夜まで続く。
不漁続きの焦燥、漁師の天敵・シャチの出現、さらに長期におよぶ船上生活の様子や日本に残した家族への想いなど、長く厳しい航海の中で、マグロ漁に挑む漁師達の息づかいが、つぶさに映像に残されている。
撮影者のひとり、斎藤健次は後にこの映像をたどりながら、『まぐろ土佐船』を著し、平成12年の小学館ノンフィクション大賞を受賞した。

漁撈長以下、幹部船員は経験を積んだ海のエキスパートであるが、乗組員の中にはサラリーマンやトラック運転手、システムエンジニア、船大工など、陸からの転向組も多い。
これは一攫千金の魅力が潜むマグロ漁ならではの光景でもある。
戦後の食糧難と高度成長が追い風となり、遠洋にマグロを追う漁船は、木造船から1960年代には300トンの鋼鉄船へと変わり、『おいらの船は300とん』と唄にも歌われ、室戸の町は活況にわいた。20歳代で家を建てたという逸話も残る。
だが1970年代初頭のオイルショックによる燃油の高騰や200カイリ問題で操業の採算割れが相次ぎ、遠洋マグロ船を所有する多くの船主が倒産や廃業に追い込まれた。

そんな逆境の1979年、新造船・室戸第36合栄丸は進水する。
大自然が相手の操業では、マグロが必ず釣れるという保障はどこにもない。
マグロが獲れなければ船主は倒産、船に乗り込む漁師自身も働き場を失う。
1980年の合栄丸の船出は、マグロ漁に生き残りを賭けた男たちの総力戦でもあった。

現在の遠洋マグロ延縄漁は、国際的な漁獲規制や操業経費の高騰、魚価の低迷、後継者不足など、多くの問題を抱え、消滅の危機に直面している。
この作品が、日本の食文化の一端を担い、脈々と受け継がれてきた漁師の営みを紹介すると同時に、漁撈技術の記録伝承にも貢献できると確信している。

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