プロダクションノート Production note

『吼える40度線』について


 この映画は、高知県室戸の遠洋マグロ船、第36合栄丸の1年8カ月に及ぶ南アフリカ・ケープ沖のミナミマグロ漁の操業風景を記録した映像です。
 2010年6月から編集作業に入ったこの映画にはプロのキャメラマンの撮った映像はありません。すべてが現場の漁師さんたちが撮ったものです。 そして、そのほとんどが30年前、当時司厨長(食事を作る係)としてマグロ船に乗り組んだノンフィクション作家の斎藤健次さんのベーターマックスのビデオテープです。 斎藤さんたちがビデオ撮影した理由は、長期にわたる乗組員の洋上生活を、心配する家族に伝えるビデオレターを作るためです。
 この映画では、山田勝利漁撈長が家族に宛てたビデオレターの一部を使用させてもらいました。
このすべて合わせると80時間余りのビデオテープをダイレクトにハードデスクに取込んで編集が始まりました。

 構成・編集を担当した釜田千秋監督は編集を始めた頃マグロの延縄漁についての予備知識は特にありませんでした。 多くの場合、映画監督は映画を作る際ゼロから発進します。また、それが出来るのがプロの監督です。マグロの延縄漁に関する書籍や映像など資料を集めるのが私のプロデューサーとしての仕事でした。
 釜田監督は編集室に一人こもり、多くの資料を読み込み、斎藤さんの撮ったビデオ映像を何回も何回も繰り返し観て編集にかかりました。 釜田監督はマグロ船で働く男たちを繰り返し観ていくうちに、会ったことのない漁師さん数人に親しみを覚えたようで、『この漁師に会ってみてえなあ』といいながら編集を続け、2011年の1月にこの映画は完成しました。
何よりも、斎藤さんの撮った映像はプロの監督の編集に十分に応える、すばらしいカットが数多くありました。

 2011年の1月11日、船籍港の室戸で80名ほどの関係者を集めて初めての試写会がありました。
釜田監督と私は、プロの漁師が観て何かクレームでもあるのではと恐れていたところ、上映が終わるとヒゲ面の男達の目に光るものがありました。 中でも、試写会を催してくれた室戸市の女性市議会議員がハンカチで涙を拭いていました。 なぜかと私が尋ねると『子供の頃、母親からマグロ船で出漁している身内の人に手紙を書きなさいと強くいわれたが書かなかった』と、私は『手紙を貰えなかったその人は寂しかったと思うよ』といって余計泣かせてしまいました。ごめんなさい。

 なお、この映画のポスター、チラシの印刷は長年付き合いのある岩手県大槌町の印刷会社に依頼しました。
2011年3月11日の東日本大震災では社屋は高台にあったため難を免れ、一時的に近所の人達100人余りの避難所になりました。 しかし、経営者および従業員は命は助かりましたが住居はすべて流失しました。
印刷業は廃業すると人づてに聞き、三陸沿岸の上映活動などで協力してもらった先代社長からの30年来のお付き合いでしたが誠に残念です。
                

黒田プロダクション 代表 サカナマン黒田輝彦



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